第43回 ~亡き父との確執と和解~

こんにちは、筧です。人と人との関わりを語るのに、やはり外せないのが家族との繋がりです。近しいからこそ大きく影響し合い、また近すぎるせいで相手のことが客観的に見られない時もある、そんな「家族」という関係性。昨年亡くなった父とは、長い間大きな確執があり、晩年になるまできちんと向き合うことが出来ずにいました。若い頃から人の面倒を見ることが好きで、家族は二の次。なにかれと言っては家を空けがちだった父。その家庭を省みない生活や、内弁慶で妻に強く当たるのを見てきた私は、母の苦労を思うと堪らなく、事あるごとに父に歯向かっては、反発していました。

父は父で、やんちゃが過ぎて学校から呼び出しを受けるわ、やれやれ卒業したかと思ったら、今度は料理の道を志すと言う息子の私に、振り回されっぱなしと思っていたようです。「お前は、俺の足を引っ張ることしかない!」と言われ続け、会社を立ち上げた時も、最後まで賛成してもらえずに、振り切るかたちで始めました。公務員で安定志向の父としては、自分と同じ公務員になって、堅実に生きて欲しいと思っているのに、その真逆を行く私が理解できないようでした。お互い顔を見て、口を開けば対立してしまうので、次第に距離を置くようになりました。

そんな関係に変化があったのは、父が亡くなる前、病に冒され入院しながらの闘病生活が始まった時のことです。医師から父の余命を告げられて、このまま最後までわだかまりを抱えたままで良いのだろうか?と思うようになりました。でも、いまさら優しい言葉を掛けることも出来ず、そのかわり毎日病室へお見舞いに行くことだけは続けました。「なんだ、来たのか。」と私には迷惑そうに言うくせに、「アイツ今日は夜に来るのかな。」なんて内心楽しみにしているみたいよ、お父さん本当は寂しがり屋だから・・・と母が笑っていました。

病室で付き添っていたある日、父が「お前は俺に苦労ばかりかけて、借りがいっぱいあるだろう。」と言い出しました。「だからその分、俺の身体を拭きに来い。背中を拭いた数の分だけチャラにしてやるわ。」不器用な父からの初めての歩み寄りでした。父もまた私との溝を埋めようとしてくれていました。いよいよ病状が悪くなった夏、車椅子を押す私に父が「俺の名刺を作れ。」とポツリと言いました。「お前の会社の名前が入ったやつだ。俺が世話した人のところを回って、お前のことを頭下げて頼んどいてやるから・・・。」その頃の父は、もう1人では歩けないくらい弱っていました。息子の私を先案じしてくれた気持ちが嬉しく、「ありがとう。」というのが精一杯でした。闘病で一緒に過ごした日々が、私たちの軋轢を和らげ、少しだけ親子らしい付き合いが出来たように思えました。

H24.2.24

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