父の闘病生活を機に確執解消

ホーム コラム一覧 父の闘病生活を機に確執解消

父の闘病生活を機に確執解消

人と人との関わりを語るのに、やはり外せないのが家族との繋がりです。近しいからこそ大きく影響し合い、また近すぎるせいで相手のことが客観的に見られない時もある、そんな「家族」という関係性。平成二十三年に亡くなった父とは長い間大きな確執があり、晩年まできちんと向き合うことができずにいました。
若いころから人の面倒をみることが好きで、家族は二の次。なにかれと言っては家を空けがちだった父。その家庭を省みない生活や内弁慶で母に強く当たるのを見てきた私は、母の苦労を思うと堪らなく、事あるごとに父に歯向かっては反発していました。
父は父で、やんちゃが過ぎて学校から呼び出しを受ける、卒業したと思ったら料理の道を志す息子に、振り回されっぱなしと思っていたようです。「お前は、俺の足を引っ張ることしかしない!」と言われ続け、会社を立ち上げた時も最後まで賛成してもらえずに、振り切るかたちで始めました。公務員で安定志向の父としては、自分と同じ公務員になって堅実に生きて欲しいと思っているのに、その真逆を行く私の行動が理解できないようでした。お互い顔を見て、口を開けば対立してしまうので、次第に距離を置くようになりました。
そんな関係に変化のきざしが見えはじめたのは、父が亡くなる前、病に冒され入院しながらの闘病生活が始まった時のことです。医師から父の余命を告げられて、このまま最後までわだかりを抱えたままで良いのだろうかと思うようになりました。でも、いまさら優しい言葉を掛けることもできず、そのかわり毎日病室へお見舞いに行くことだけは続けました。「なんだ、来たのか」と迷惑そうに言うのですが、「アイツ、今日は夜に来るかな」なんて内心楽しみにしているみたいよ、お父さん本当は寂しがり屋だからと母は笑っていました。
病室で付き添っていたある日、父が「お前は俺に苦労ばかりかけて、借りがいっぱいあるだろう」と言い出しました。
「だからその分、俺の身体を拭きに来い。背中を拭いた数の分だけチャラにしてやるわ」
不器用な父からの初めての歩み寄りでした。父もまた私との溝を埋めようとしてくれていました。いよいよ病状が悪くなった夏、父が「俺の名刺を作れ」とポツリと言いました。
「お前の会社の名前が入ったやつだ。俺が世話した人のところを回って、お前のことを頭下げて頼んどいてやるから」
そのころの父は、もう一人では歩けないくらい弱っていました。私の先を案じてくれた気持ちがうれしく、「ありがとう」というのが精一杯でした。闘病で一緒に過ごした日々がを和らげ、少しだけ親子らしい付き合いができたように思えました。

Copyright (C) 株式会社リバース All Rights Reserved.

お仕事一覧を見る

お問い合わせ

お仕事一覧を見る
お問い合わせ