こんにちは、筧です。異業種交流会でのご縁がきっかけになり、メンバーが所属する活動に参加させて頂くことがあります。私が参加した活動のなかで、特に印象に残っているのが、掃除に学ぶ会(NPO法人 日本を美しくする会)で、豊橋市内の或る小学校のトイレ掃除を行ったときのことです。その日は、約100名の有志参加者が集い、5~6名ずつの班に分かれて、校内のトイレ掃除を一斉に行いました。参加者の構成は、在校生やその保護者、地域住民に、掃除指導にあたるボランティアスタッフと様々です。
汚れて黄ばんだ便器をみんなで手分けしてゴシゴシと素手で掃除し、小便器の水漉しの裏や細やかな溝・傷の隙間の汚れに至るまで掻き出して、2時間余りかけて全てのトイレをピカピカに磨き上げます。最初は、臭いや汚れやを目の当たりにして躊躇しますが、一度手を伸ばしてしまえば、あとは汚れを落とすことに夢中になるのが不思議です。実際に体験してみると、同会の発起人で㈱イエローハットの創業者 鍵山 秀三郎氏の「目は臆病だが、手には勇気がある」という言葉が、まさにその通りだと感じました。
初対面同士も多い中、1つの目標に向かってみんなで汗をにじませながら行う共同作業は、なんとも言えない連帯感と達成感を味わわせてくれます。私と同じ班の中に一組の母娘がいました。最初はぎこちなく離れて作業していた二人ですが、最後に同じタイルの傷を一緒になって擦り、ピカピカにしたところで、「お母さん、ごめんね。」と娘さんがワーッと泣き出しました。母親も泣きながら娘を強く抱きしめています。後から知った話ですが、高校生の娘さんは登校拒否となってから、ご両親との間に深い隔たりが出来てしまい、お互いどうコミュニケーションをとれば良いのか分からなくなっていたそうです。
それが、肩を並べて黙々と掃除に没頭するうちに、相手へのわだかまりがほぐれ、再び素直に向き合えるようになったのでした。もう1つ、心の距離を縮める活動で「日本ハグ協会」という試みがあります。身近な人への感謝、相手を大切に思う気持ちを言葉ではなくハグという行為で表現してコミュニケーションを取ろうというものです。相手に向かって両腕を差し伸べる。最初はする方もされる方も照れがあります。うまく出来ないときは握手から。しかし数回トライしてみると、自然にハグ出来るようになり、触れ合った肩や指先から、直接口にしなくても信頼の念が伝わってきます。通じ合いたい、分かって欲しい・・・言葉を尽くしているつもりが口論に。そういうときこそ、絆を信じて、理屈ではないところで向き合ってみることが大切ではないでしょうか?次回からはそんな「家族」についてのエピソードです。
H24.2.17
こんにちは、筧です。私には10年近く会社を支え続けてくれた片腕のような部下がいました。部下と言っても、その人の歳は私の父親ほど、前職の一流商社では初の海外支局長に抜擢されるなど、第一線で活躍され、定年を過ぎてから後進育成の為に新たな勤め先を探しているところでした。その当時、弊社の経理部では、商業高校出身の若手スタッフが頑張っていましたが、なにぶん実務経験が乏しいために税務上の処理に不備があるなどして、とにかく実務のしっかり出来る人材を指導者として迎え入れたいと考えていました。
そんななかで、巡り合ったのが先のAさんでした。経理部長となったAさんは、穴のあった処理を丁寧にたどっては繕い、スタッフ達に教えることを惜しまず、社内の大きな仕組み作りに貢献してくれました。彼が偉大だったのは、組織が円滑に回るようルールの統一や仕組み化を進めるなかでも、決して人の気持ちをないがしろににはしなかったところです。スタッフをただの歯車にしてしまわない、人間らしい心の入った仕組みになるように配慮を重ねながら、体制を整えていきました。
そんな彼の人柄が分かるエピソードがあります。ある時、内職作業の斡旋会社から、スタッフに工賃を払う段階になって、諸経費や手数料で数百円差し引く分があったと連絡がきました。先方担当者から、工賃からその分を差し引いて支払い処理をしてほしいと事務的に言われ、Aさんは顔を真っ赤にしてすごい剣幕で怒鳴りました。「そんな大事な事を、どうして先に言わないんだ!アンタ達にとっては、たかが数百円かもしれないが、内職スタッフは1円2円の仕事でも軽んじずにコツコツ必死にやっているんだぞ。その子たちからそれだけの金をとるという意味が、アンタには分かるか?」翌日、出すぎたことをしたと言って、私のところに辞表を持ってきた彼。
秩序と人情を重んじる昭和の武士のような男でした。私自身も、彼には山ほどたしなめられ、社長と言う看板がどういうものか、組織とは何かと、その度に教えてもらいました。業績が良いときも悪いときも、控えめながら絶対にブレない重鎮でした。Aさんが亡くなった時、奥様に「うちの会社に来て頂いたばっかりに、Aさんにはいろいろ苦労をかけました。本当に申し訳ない。」と詫びると、「主人は、家でも仕事の話をしては、楽しいと言っていました。いつも、こんな面白い会社はないって。」・・・生前Aさん本人にも「ちゃらんぽらんだが、いい会社だ。腹がよじれるくらい笑えそうだから、ここにしようと思ったけど、社長、この会社は最高ですね」と言われました。これからも、亡き彼に最高!と笑ってもらえる、活きがよく味のある会社であれば、というのも、私にとっての会社経営の1つの指針です。
H24.2.10
ここ数日を使って、今シーズンの予定の見直しを行ないました。本業以外に地元の行事所属する組織の会合、セミナー講演のの依頼などが立て込んで、慌ただしかった昨年。例年以上の距離を移動し、時間の拘束・調整も多く求められた一年でした。改めて感じたことは、自らの自己管理・健康管理がいかに重要かということです。
「身体は資本」と広く言われるように、これまでも経営者にとっての健康管理のプライオリティーは分かってはいるつもりでした。「経営の体力」=「経営者の体力」であると。しかしながら、もともとが丈夫なたちで、体力も人一倍あるがために、多少の無理や無茶は許容範囲内を高をくくって当たり前としてきてしまったこと、それが知らず知らずのうちに根深い習慣と化していたことを猛省しました。
実際は、環境の変化による負荷に、自分の身体が対応できていなかったのでしょう。講演などで人前で話す機会が急増した時、喉にポリープができたり、口唇ヘルペスを発症したりしました。当時は「職業病みたいなものだ」で、済ませてしまいましたが、よくよく考えれば、それは明らかに免疫力の低下を意味していました。体調が万全でない時は、どんなに自分ではコントロールできていると思っても、不足するものが必ず出てきます。気力・判断力・攻めの姿勢。経営者にとって思考力が低下することほど致命的なことはありません。
経営も、余裕や余力のないカツカツの状態では、上向きどころか、現状を維持することすら困難にもなりかねません。息切れを起こして停止している間に、社会情勢や周囲の人・物がそこに良い状態で留まっているとは限らないのが恐ろしいところです。ただ1つ注意したいのは、体力を常に温存しておけばいいという話でもないということです。ここぞという勝機に、持てる力の全てを出しきって戦うことも必要。そうしなければ得られないものも沢山あります。
要は、平常を、緩急のリズムを持ったサイクルをなくして回そうとすれば、それはいつしか秩序の外に放り出されてしまうということです。私がいささかスケジュールを詰め込みすぎたと感じた昨年、巷では、やましたひでこさんの提言する「断捨離」がブームとして再燃、書店では関連書籍でコーナーが組まれていました。自分の身の回りにあふれている「不要・不適・不快なもの」を取り除き、物質的にも精神的にも豊かなバランスのとれた生活を取り戻そうという動きです。
人間の営みも会社経営も、呼吸するように、入ってくるものと出ていくものの帳尻が合うよう循環していかなければ、秩序ある健康な状態とは言えない。今期の私の大きなテーマの1つです。
H24.2.3
こんにちは、筧です。先日、息子の新成人のお祝いに家族揃って夜食事に出かけました。息子から「お父さんの時は、成人式どうだった?」と訊ねられ、成人式は仕事をしていたから出席していないんだよ。」と、久しぶりに当時を思い出しながら話しをしました。二十歳の頃、私は料理人を志していました。見習いとして就職したのは地元の中華料理店。毎日茹だりそうな厨房のなかで、汗だくになりながら働いていました。
成人式の案内をもらったある日、私は店の大将に「今度の祝日、成人式があるのでお休みを頂いてもいいですか?」と申し出ました。すでに同い年のアルバイトスタッフが、休みをもらえたと聞いていたので、自分もすんなり「いいよ。」と承諾してもらえると思っていました。ところが、それを聞いた大将の顔がみるみる険しくなって、「バカヤロウ!飲食業というのはな、人が遊んでいるときに働くんだ。休みの日に自分も休めるなんて、甘いことを考えていて、一人前になんかなれると思うなよ!」と大目玉を食らいました。
奇しくも、その中華料理店は、成人式の会場となる学校の道路を挟んだ向かい側、その並びに位置していたので、成人式の日は朝から仕込みで大忙し、昼も夜も大きな書入れ時だったのです。当日は、ひっきりなしにお客さんがやってきました。厨房で作業をしながら、ふと顔を上げると晴れ着姿の同級生たちが家族や友人を伴って食事に来ているのが目に飛び込んできます。その眩しい光景を見ないように手元に目を凝らして、ぐっと歯をくいしばりながら、鍋を振るってやり過ごしました。
いつもより遅い閉店後の後片付けを済ませ、目まぐるしい一日が終わりました。張り詰めていたものが一気に緩み、すぐ帰る気にもなれず、私は店の裏手でぼんやりと座って休んでいました。すると、大将が顔を覗かせ、私の側にやってきて、「今日はありがとな。今度の休みにこれを着てどこか遊びに行ってこいよ。」と、包みを渡してくれました。中を見ると、新品のネクタイとカッターシャツが入っていました。
大将はお祝いだとは一言も言いませんでしたが、その気持ちが嬉しくて、鼻の奥がツンとしました。厳しさも優しさも教わった出来事でした。あの頃叩きこまれた料理という職人の世界の厳しさ。理不尽に思うことも多々ありました。しかし歳を重ね、自分が会社を興して、部下を持つようにもなってみると、見えてくる真意があります。時代が変わっても、変えてはいけない心がある。いつか分かる時が来ると信じ、若い世代を育てることを、私たち大人が諦めてはいけないと改めて思いました。
H24.1.27
こんにちは、筧です。10年ほど前、自社で新しいサービスに参入しようとして、失敗したことがありました。なにかと言うと「代行運転」のサービスです。隣県静岡で同サービスを始めていた会社へ研修を受けに行き、愛知県下では第一号で認可を取得しました。きっかけは、自社のスタッフが参加する接待や飲み会を懸念してのことでした。深夜まで公共交通機関が整備された街中と違って、郊外のベットタウンである地元稲沢では、どうしても移動の足として自家用車が頼りになってきます。
今でこそ無料送迎を行う飲食店が増え、利用者側も前もって飲まない参加者に協力をあおいだり、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」の飲酒運転を防ぐ対策がしっかり取られるようになりました。しかし、当時は2007年の道路交通法の改正前。残念ながら今ほど厳密ではありませんでした。酔いをさましてから帰る、という人も多かった。とはいえ、アルコールが残っていないかを自己判断するのは危ういので、そういうグレーゾーンにならない環境整備が広くてできないものかと考えたのでした。
潜在ニーズはあると思いました。利益率がどの程度になるかは未知数でしたが、社会に貢献できるサービスの提供、ということに意味があると立ち上げたプロジェクトでした。その思いに賛同し、代行運転が知られるきっかけ作りになればと、無料で広告掲載に協力してくれる媒体も複数ありました。しかしながら、一向に利用者は増えませんでした。自分の車を他人に預けることに抵抗があったり飲食費に加えて代行運転まで頼んだら余計に出費がかさむと理解が広がらなかったのです。タクシー運転手からは、「仕事の横取りをするな。営業妨害だ!」と嫌がらせを受けたこともありました。なんとか続けたいと粘りましたが、待機スタッフの基本給を保証し続けるには採算が合わず、悔いを残しながら撤退を余儀なくされました。5年早かった、と感じました。
今は安心・安全も買う時代、買わなければ得られないという意識の人が増えてきました。考えてみれば、ミネラルウォーターを買って飲む、という文化も日本ではここ十数年のことで、かつては蛇口をひねればタダでも飲めるものをわざわざ高いお金を出して買うなんて、と欧米での習慣に違和感を感じたものです。飲食店ではノンアルコールビールもあるのが当たり前になりました。飲食メーカーがこぞって新製品開発を行うようになったのもここ数年。代行運転もようやく少し認知されるようになりました。時代のニーズに合わなければ、理念があっても経営に乗せられない時代があります。10歩先、5歩先を見通しながら、3歩先くらいのタイミングで仕掛ける、軌道修正する。その嗅覚が経営者には必要なのです。
H24.1.20





